拳王 いつか大きな玉ねぎの下で

プロレスリング・ノアのジュニアヘビー級戦線で戦っていた拳王がヘビー級に転向すると聞いたとき、僕は正直うまくいく気がしなかった。同じノアジュニアでしのぎを削っていた小峠篤司も同時期にヘビー転向を宣言していた。小峠はノアに侵攻していた鈴木軍の金丸義信から奪還したGHCジュニア王座を3度防衛するなど、ジュニアでの実績でいえば確実に拳王を上回っていた。拳王がヘビー転向を宣言しても、小峠の陰に隠れてしまうような予感がした。

僕の不安を消し去るように、拳王はヘビーに転向してすぐマサ北宮とのタッグで潮崎豪・マイバッハ谷口組の持つGHCタッグ王座を奪取する。僕はこの試合をエディオンアリーナ大阪で生観戦していたのだけれど、奪取はまさにサプライズだった。レスラーとしての実績ではるかに上回る王者組を相手に、ヘビーに転向したばかりの拳王がいきなり結果を出してみせたのだ。拳王組の勝利が告げられた瞬間、拳王のテーマ曲である「失恋モッシュ」が会場に鳴り響いた。このときのことを僕は昨日のことのようにはっきりと覚えている。

しかし、この拳王・北宮組は長続きしなかった。なんと拳王がタッグパートナーである北宮を裏切ってしまったのだ。拳王は新たなパートナーとして杉浦貴を指名し、拳王・杉浦組VS北宮・モハメド・ヨネ組で新王者決定戦が開催された。結果は拳王組の勝利に終わったが、いちども防衛できぬまま、丸藤正道・マイバッハ谷口組にベルトを奪われてしまう。さらに新パートナーの杉浦が持病の手術のため、長期の欠場に入ってしまう。拳王にとっては、まさに踏んだり蹴ったりである。

この頃の拳王を見ていると「空回りしてるなあ」という印象が強かった。一瞬の輝きは見せるものの、その輝きはまるで流れ星のように消え去ってしまう。

拳王にとって最大の転機になったのは、2017年の夏に開催されたゼロワンのリーグ戦「火祭り」への参戦だと思っている。拳王はゼロワンの代表選手である田中将斗に狙いを定め「田中将斗の首を獲る」と宣言していた。公式戦では惜しくも田中に敗れ、火祭り優勝もならなかったが、火祭りを通じて拳王はヘビー級戦士としての評価を一気に上げたような印象がある。

この頃から僕も拳王に対する見方が変わり始めた。拳王のバックボーンが日本拳法だと知ったことも大きい。日本拳法というのは、パンチ・キック(ローキックは禁止)・エルボー・ニーなどの打撃あり、投げ技・寝技・関節技ありのいわば総合格闘技のような競技である。防具をつけて行うので最低限の安全は確保されているが、なんと無差別級なのである。これは柔道などに比べて競技人口が少ないことが要因のひとつだと思われる。無差別級であるゆえ、ボクシングのようなKOシステムはなく、剣道のように「一本」をとる競技である。拳王が日本拳法の出身であるならば、ヘビーに転向してもやっていけるかも知れないと思った。彼は身長174センチという決して大きくない身体で、最年少で全日本拳法総合選手権を制するなど輝かしい成果を手にしているのだ。ちなみに、彼が所属していた明治大学の日本拳法部は、国内最強と言っても過言ではないほどの強豪である。

話がわき道に逸れてしまうが、著名な日本拳法出身者としては、日本人としてはじめてWBA・WBCの統一王者となったプロボクシングの渡辺二郎、K‐1などで活躍した長島☆自演乙☆雄一郎などがいる。しかし、プロレスラーで日本拳法出身というのはあまり聞いたことがない。

拳王は火祭りを通じて、ヘビー級戦士としてひと皮むけた。そして、その勢いのままノアのヘビー級リーグ戦「グローバル・リーグ戦」へ突入していく。拳王にとっては初出場である。この2017年のグローバル・リーグは特別な意味を持っていた。ノアの至宝GHCヘビー級王座のチャンピオンであった中嶋勝彦がエディ・エドワーズにタイトルマッチで敗北したため、GHCヘビー級王座が海外に流出していたのである。そして、王者であるエディはリーグ戦には参加しなかった。グローバル・リーグの覇者は、GHCヘビー級王座への挑戦権が与えられるというのが通例になっている。「誰が至宝を取り戻すのか」このリーグ戦は重い命題を背負っていた。

王者であるエディが参加しないリーグ戦というだけでも、ファンの心は少し萎えてしまう。さらに追い打ちをかけるように、参戦が予定されていた大日本プロレスのスター選手岡林裕二が直前にケガをしてしまい、参戦が流れてしまったのだ。杉浦は長期欠場から復帰したものの、いきなりハードなリーグ戦を戦うというわけにもいかず、こちらも参戦できなかった。

正直、少し寂しいリーグ戦だった。ノアは本当に大丈夫なのか?ファンの心の中には、少なからず不安があった。しかし、そんな不安を払しょくするかのような闘いがいきなりリーグ戦初日に繰り広げられた。前王者である勝彦と拳王の公式戦である。空手をバックボーンとする勝彦、日本拳法をバックボーンとする拳王の蹴りを中心とした激しい打撃戦が繰り広げられた。特に場外でお互いを激しく蹴り続けるふたりの姿はあまりに強烈だった。ふたりとも壊れてしまうのではないかとすら思えた。意地とプライドが蹴りという形となってお互いの肉体を傷つけあった。結果は時間切れ引き分け。白黒つかない試合だったが、後楽園ホールのファンからは惜しみない拍手が注がれた。『拳王はもしかしたらヘビーでいけるんじゃないか』そんなぼんやりとした期待が徐々に高まるのを僕も感じていた。

初出場のグローバル・リーグで、拳王は快進撃を続けていく。かつてマサ北宮と組んでGHCタッグを手にしたエディオンアリーナ大阪で、今度は因縁の相手である田中将斗を相手に公式戦が行われた。火祭りで「首を狩る」といって果たせなかった好敵手。そんな田中を相手に拳王は凄まじい蹴りを繰り出す。田中も必殺技のスライディングDなどで応戦するが、最後は拳王のダイビングフットスタンプに沈んだ。僕もこの試合を生で観戦していたのだが、2017年に生観戦したあらゆるプロレスの試合の中で間違いなく最高の試合だった。拳王からは禍々しい殺気が漂っていた。とにかく目の前の田中を痛めつけ、倒す。そんなどす黒い感情が拳王の小さな身体からにじみ出ているような気がした。そして拳王は、ついに田中の首を狩ったのだ。『拳王、優勝するかも知れない』そんな期待が僕の中で生まれ始めていた。だとすれば、ノアに大変動が起こる。

その後の拳王は、大阪の世界館大会でかつて何度も苦渋を舐めさせられた小峠を一蹴する。ほぼ同時期にヘビー転向を宣言した小峠は、すでに中嶋が持つGHCヘビーに挑戦していた。挑戦権すらあたえられなかった拳王と比べれば、一歩先んじていたといえる。しかし、そんな小峠でも拳王の勢いを止めることは出来なかった。世界館大会のメインで丸藤が北宮に敗れ、この時点で2017年のグローバルリーグ決勝戦は拳王VS潮崎という組み合わせに決定した。実績からすれば、潮崎の圧倒的優位は揺るがない。それは僕も含め、すべてのファンが分かっていた。しかし、拳王がなにかを起こしてくれるのではないかという不安の入り混じった期待が漂っていた。

そしてむかえた決勝戦。向かい合うふたりのレスラー。純ヘビーの潮崎の方が明らかに体格では勝る。実際、序盤の潮崎には余裕すら感じさせる動きも見えた。拳王の打撃も、やはりGHCと三冠を獲った潮崎には通用しないのか。しかし、無差別級の日本拳法の世界で頂点をとった拳王にとって、体格差などまったく関係がなかった。そして、キャリアの差など意識する拳王ではなかった。潮崎が得意の逆水平チョップを放てば、拳王は壮絶な蹴りを見舞った。当初は圧倒的にみえたふたりの格差は、試合が進むにつれ、徐々に縮まっていった。そして、ついに運命の瞬間がやってきた。拳王はハイキックで潮崎をダウンさせると、四つん這いになった潮崎の背中にむけてコーナートップからフットスタンプを発射。さらに、それを受けて仰向けになった潮崎に対し、とどめのダイビングフットスタンプを放った。そしてスリーカウント。年のはじめにヘビー転向を宣言したばかりの拳王がグローバル・リーグ初出場・初優勝を果たした。まさに「下剋上」。拳王はノアのヒエラルキーを見事にひっくり返してみせた。

拳王は優勝トロフィーの隣でファンに対しておのれの夢と野望を語った。「テメーらクソ野郎どもをな、武道館まで連れて行ってやるからな!」それはノアのファンにとってあまりに刺激的で、希望に満ちた宣言だった。ノアは創立者で社長でもあった三沢光晴が2009年に試合中の事故で死去して以来、有力選手の退団や反社会的組織とのつながりの暴露などもあり、一気に支持をなくしていった。かつて「プロレス界の無敵艦隊」とも称された団体は「泥船」とまで揶揄されるようになっていた。後楽園ホールも空席が目立つようになり、かつて恒例だった武道館大会など、夢のまた夢だった。しかし、拳王はあえて「武道館」という具体的なフレーズを使い、ファンに希望を抱かせた。中にはそれを嘲笑った人間もいただろう。しかし、わずかな光明を見た人間もいたはずだ。もちろん、僕もその中のひとりだった。僕はもう拳王から目を離さずにはいられなくなっていた。これほど凶暴で、野望に満ち溢れ、それを激しく語れる人間がかつてノアにどれほどいただろうか?

拳王はその後、エディ・エドワーズの持つGHCヘビーに挑戦した。この時の僕は、拳王がベルトをノアに奪還する以外の結末はありえないと思っていた。そう思わせるだけの闘いを拳王はリーグ戦を通じて見せてくれた。「武道館まで連れて行く」と宣言したチャレンジャーが初っ端でつまずくことは許されない。そして、僕の予想通りになった。必殺のダイビングフットスタンプが火を噴き、エディは緑のマットに沈んだ。拳王は第30代のGHCヘビー級チャンピオンとなった。ある意味、予想された結末ではあった。しかし、ファンを興奮させる美しき予定調和だった。拳王は方舟の歴史に禍々しくも美しい爪痕を残したのだ。

この文章を書いている現時点で、拳王の腰にベルトはない。拳王は3度目の防衛戦で杉浦貴にベルトの明け渡してしまった。結果だけみれば、拳王は歴史を変えきれなかった。しかし、これで終わったわけではない。終わるわけがない。ノア中を見渡しても、拳王ほどファンに夢と野望を語れるレスラーはいない。ノア戦士の多くが苦手とする言葉の力を拳王は持っている。それはみちのくプロレスというインディー団体のトップに這い上がり、さらにノアという全国区の団体で自らの存在を示すために必然的に身につけてきたものだろう。拳王は打撃で惹きつけ、言葉で惹きつけるレスラーなのだ。そんな彼がノアの中心に戻ってくる日を僕は楽しみに待っている。そして、今度こそ、今度こそ大きな玉ねぎの下に鳴り響く「失恋モッシュ」を聴いてみたい。

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