いじめられっ子だった自分が朝倉未来の「いじめられる側にも原因がある」発言を支持する理由

総合格闘家の朝倉未来がYouTubeにアップした動画の中で「いじめられる側にも原因はあると思う」という旨の発言をしたことが一部で物議をかもしています。要はプチ炎上というヤツですね。

その動画はこちらになります。

動画を観た自分の感想としては「個人的には支持かなあ」という感じです。

こんな事を書くと怒られそうですが、やっぱり「いじめられやすい人」っているじゃないですか。だからっていじめは正当化できませんが「いじめという問題が存在し、その被害に遭いやすい人がいる」というのは厳然たる事実ですよね。

そのような現状に対して朝倉未来は「いじめられる側にも何かしらの原因はある。だからその原因を解明して直していくことが大事」と言っているんですよね。(「被害者になんの落ち度もない場合もある」「いじめている方が100%悪い」というフォローも入れています)。

まあ、怒る人も多少はいるかなとは思いますが、個人的にはけっこう朝倉未来に同意です。

残念ながら、いじめられやすい人はいます。

実際、僕はいじめられやすい子供でしたし、いじめられていました。

お金を取られたりはしなかったんですが、顔を殴られて口の中が切れたりしたことは何度かありましたね。学校のバッグを汚されたりとか、容姿や勉強や運動神経のことをしつこく馬鹿にされたこともありました。別にアピールしたりはしませんが「いじめの被害者」だったと言って良いレベルだと思っています。

致命的に嫌だったのが、けっこう色んな場所でいじめられたことですね。

小学校の登校班、中学校の部活、高校のクラス…。

なんというか、誰かからいじめられていなかった時期がほとんどなかったような気がします。

これは高校の終わりまで続いたように記憶しています。

僕の運が非常に悪くて、いつもクソ性格の悪い人と一緒になってしまったという可能性もゼロではありませんが、ちょっと現実的じゃないですよね笑。

やっぱり「僕がいじめられやすい人間だった」というのが最大の理由だと思います。

僕は、運動も勉強も出来ない子供でした。しかも、中学校の頃までは太っていました。そして、発達障害のような部分もありました(そういう診断を受けたわけではありません)。人とコミュニケーションをとるのは苦手中の苦手でした。

クラスにひとりぐらい、なんかコミュニケーションに癖があって、浮いてる感じの子っていませんでしたか?やたらと先生とばかり話しているような。昔の僕は、そんな感じの子でした。

それに加えて、僕はとことん臆病でした。

やられても、やり返せない。罵倒されても、言い返せない。

言ってしまえば、人間サンドバッグ。

当時から身長はそれなりにありましたから、マジでブチ切れてやり返したら何とかなった可能性はあると思うんですよね。

でも、やっぱり駄目でしたね。

どうしてもやり返すことが出来なかった。

せいぜい殴られないようにちょっと相手の手を押さえたりするだけ。まあ、その分あとで「抵抗するなんて生意気」と強めに殴られるんですけど。

過去の自分に対してこんな事を言うのは辛いですが「いじめてみたい」という人の加虐心を刺激しやすい子供だったのではないでしょうか。

朝倉未来の言う「いじめられる原因」は山のようにあったわけです。

僕が「いじめられやすい人はいる」と断言したのは、過去の自分がそういう人間だったからに他なりません。

僕をいじめていた人の面子は本当に多種多様でしたが、決して性格がねじ曲がったようなタイプの人たちばかりではありませんでした。後に名門大学に進学したり、部活動で素晴らしい成果を残したり、恋人や友人に恵まれている人もいました。

そういう人たちも僕もいじめました。

僕の容姿を嘲笑い、顔を殴り、僕という人間の存在を罵りました。

僕は「いじめられやすい人」というよりも「人をいじめっ子にしてしまう人」だったのかも知れませんね。

だから、朝倉未来の動画を観た時、他人事だとは思いませんでした。

昔の僕にはあきらかに「いじめられる原因」がありましたから。

「いじめは加害者が100%悪い。いじめ被害者がいじめられないように努力するなんておかしい」という主張は美しいものだと思います。

しかし、いじめという大問題へのアプローチは多様であるべきではないでしょうか。

「いじめ被害者がいじめられないように努力する」というのは全然アリだと思っています。

いじめをなくす根本的な解決策ではないかも知れませんが、対症療法的には有効な場面も少なくないのではないでしょうか。

いじめという心身を深く傷つける問題の前に、えり好みしているヒマはないでしょう。

もしも昔の僕が格闘技を習っていて気も強かったら、たぶんいじめには遭っていなかったと思います。陰でネチネチと悪口を言われたりはあるでしょうが、顔を殴られたりはしなかったでしょう。それだけでもマシです。

自分を変えるのはたしかに難しいです。

しかし、いじめ加害者が変わるのを期待するのはリスキーだと僕は思っています。

「いじめ加害者にカウンセリングを施す」というやり方もあるようですし、それは否定しません。しかし、他人が変わるのを期待するぐらいなら、僕は自分が変わる方を選びます。

高校でもいじめられたりしていた僕ですが、3年生の頃にはそのようなことも減りました。

年齢を重ねるにつれ、発達障害的な部分が減っていったような気がするので、それも影響しているでしょう。

僕は高校2年生の頃から急に「有名な大学へ進学してコンプレックスを解消したい」と思うようになり、受験勉強を開始しました。

そして、熱心に勉強したかいもあって、なんとか現役で関西にある名門と呼ばれる大学に合格することが出来ました。

いじめている人の一部は僕が受験勉強しているのを笑っていましたが、受験の結果を知ると何も言わなくなりましたね。

大学に進学してからは、自分なりにコミュニケーションを意識したりするようになった影響もあり、いじめに遭うことはなくなりました。受験の成功で自分にそれなりに自信が持てるようになったのも大きいのではないかと考えています。

これは「自分を変えることでいじめを克服した」と言えるのではないでしょうか。

このような経験があるからこそ、僕は朝倉未来の「いじめられる側にも原因はあると思う」という意見を支持します。

いじめは、いじめている側が100%悪いです。しかし、いじめられている側の変化で状況を変えることは可能なのではないでしょうか。

対症療法に過ぎないのかも知れません。

いじめ加害者は別のターゲットを見つけていじめを開始するかも知れません。

しかし、たとえそうであっても、朝倉未来の発言は「いじめられている君は悪くない」という誰にでも言えるようなセリフよりも価値があると僕は思うんですよね。

※これはあくまでも僕の個人的な感想であり意見です。朝倉未来の発言に異を唱える人を否定するつもりはありません。「いじめ被害者」だったという自覚のある自分が朝倉未来の発言について意見を表明することに何かしらの意義があると考え、このブログを書きました。

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