所英男 シンデレラストーリーの幕が下りるとき

はじめて所英男の試合を観たときのインパクトは凄まじかった。あの一戦で、僕は所英男という格闘家に心を奪われた。

かつて存在した格闘技イベント「HERO’S」のミドル級トーナメント1回戦で、所は圧倒的に格上の存在である「ペケーニョ」ことアレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラを相手に激闘を演じた。

本戦では決着がつかず、試合は延長戦にもつれ込んだが、その延長戦が始まって1分も経たないうちに、所のバックハンドブローがペケーニョの顔面を捉え、ブラジルの猛者は崩れ落ちた。そして、パウンドを見舞う所をレフェリーが制止した瞬間、彼のシンデレラ・ストーリーが幕を開けた。

所はノゲイラとの試合が組まれた時、アルバイトをしながら格闘技を続けている状態だった。

彼の煽りVTRには清掃の仕事をする姿、狭いアパートでコンビニ弁当を食べる姿が必ずといっていいほど映し出された。彼には「闘うフリーター」というキャッチコピーがつけられた。

そんな所が大番狂わせを起こし、一躍スターダムに駆け上がった。まさにシンデレラボーイだった。

少し話が逸れてしまうのだけれど、考えてみれば、格闘技だけで食べていける人は少数派だ。多くの格闘家は所と同じようにアルバイトをしながら夢を追いかけている。

決して所が特殊だったワケではない。ほぼ全ての格闘家は「闘うフリーター」からスタートしている。

当時はそこまで考えが至らなかったが、「闘うフリーター」という所英男のキャラクターは、明らかに観客や視聴者の共感を得るために意図して作られたものだと思う。

あの当時、フリーターは不安定な非正規労働者として問題視され、クローズアップされていた。

「闘うフリーター」というキャッチコピーは、あのときの時勢をとらえた見事なものだと思う。

「闘うフリーター」所英男がシンデレラボーイであり続けるためには、なによりも勝たなくてはいけなかった。

ミドル級トーナメント2回戦では、所はこれまた格上である宇野薫と対戦することになる。結果は判定負けだったが、日本を代表するグラップラーである宇野を相手に判定まで持ち込んだ所の評価は決して下がることはなかった。

その年の大晦日には、秋山成勲の欠場による代役として急遽、ブラジルのホイス・グレイシーと対戦することになった。所の歴代の対戦相手の中で、実力・知名度とも最高の格闘家との対戦が決まったのだった。

所はここでも、ノゲイラとの試合で見せた勝負強さを発揮し、グレイシー一族の代表格を相手に一歩も引かない闘いを演じた。

判定決着のない特別ルールだったが、体重差もある中であそこまでの試合を演じた所の実力は本物だった。

しかし、所は思わぬところでつまづいてしまうファイターだった。「インドの毒蛇」ことブラック・マンバに2度にわたるKO負けを喫し、一時的なスランプに陥ったこともある。

GP優勝などのタイトルも手にしたものの、どうしてもトップ中のトップとは評価しきれない部分があった。

HERO’SやDREAMといった所の活躍していたプロモーションが次々と解散してしまう憂き目にもあった。

しかし、所英男はなんとか時代に間に合った。2015年に誕生したRIZINは所にとって最後のチャンスだった。

所はRIZINのリングで才賀紀左衛門、山本アーセンといったはるかに若い選手を相手に闘い、勝利をおさめていった。

所は2017年に開催されたRIZINバンタム級GPにもエントリーされ、MMA世界最高峰の舞台であるUFCでタイトルマッチにまでたどり着いた堀口恭司と対戦することになる。

もしもこの堀口を攻略することが出来れば、所はふたたびスターダムに這い上がることが出来る。かつて自身が「闘うフリーター」からシンデレラボーイに駆け上がった頃のように。

しかし、現実は甘くはなかった。年齢と激戦による肉体の傷みが残る所は堀口のフットワークに全く対応することが出来なかった。そして、所は堀口の右フックを顔面に受けるとダウン。追撃する堀口をレフェリーが止め、試合は終わった。わずか1Rでの決着だった。

奇跡は、大番狂わせは起きなかった。誰もが予想した通りの残酷な結末が待っているだけだった。

所は堀口戦以来、総合格闘技の試合をしていない。自身がずっと対戦を希望していた山本”KID”徳郁の死去により、現役を続けることのモチベーションがなくなったともとれる発言もしていた。

しかし、KIDの一周忌の日、彼はまだ現役を続ける意志があることを表明してくれた。

彼がどのようなかたちで自らの「シンデレラ・ストーリー」に幕を下すのかは分からない。来年開催されると噂される2回目のRIZINバンタム級GPへの参戦が最後になるかも知れない。いずれにしても、閉幕のときは確実に迫っていると思う。彼に勇気をもらったひとりのファンとして、所英男があの優しい笑顔で退場していくことを願うばかりだ。

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