藤田和之 疲れきった野獣の幸福なラストシーン

2018年6月3日、全日本プロレス神戸サンボーホール大会。客足の復調が話題になっている全日の会場には、この日も多くの観客が詰めかけていた。メインイベントは船木誠勝デビュー33周年を記念する6人タッグマッチ。船木がハイブリッドブラスターで勝利をおさめ、会場は拍手に包まれた。しかしその直後、会場にひとりの屈強な男が乱入してくる。以前から全日の諏訪魔と抗争を繰り広げていた藤田和之だった。予想外の藤田登場に観客は興奮した。それと同時に「帰れ!」というヤジも飛んだ。藤田と諏訪魔の抗争は全日ファンからの支持を得ているとはいいがたく、以前から賛否が分かれていた。

突然現れた藤田に対し、全日を代表して所属選手のゼウスが強烈なマイクを行った。「俺は昔からPRIDEとか格闘技が大好きで、あんたのことも大好きやった!そんなあんたが、どうしてこんなプロレスを馬鹿にするようなことをするんや!」それはゼウスと同世代、つまり日本の総合格闘技が全盛を誇った頃の藤田を知る僕のような人間にとって、思い切り心に突き刺さるマイクだった。藤田、お前はどうしてしまったんだ?お前は一体なにをしたいんだ?

藤田和之、かつての彼は間違いなく日本格闘技界のエースだった。総合格闘技、それも世界の強豪がひしめくヘビー級において、確固たる地位を築いていた。それは彼以外には誰もたどり着けない領域だった。

高山善廣はドン・フライトの激闘を通じておのれの商品価値を一気に上げたが、総合格闘技で白星を上げることはついに出来なかった。ジェロム・レ・バンナから大金星を挙げた安田忠夫は自らの怠惰な性格も祟り、結局は格闘技の世界からあっさりフェードアウトしてしまった。新日本プロレスの看板レスラーだった永田裕志にいたっては、エメリヤーエンコ・ヒョードル、ミルコ・クロコップに惨敗を喫し、プロレスラーの強さに大きなクエスチョンマークをつけてしまった。小川直也はPRIDEデビュー戦の相手だったゲーリー・グッドリッジや惨敗を喫したヒョードル以外は強豪といえる選手と対戦しなかったし、途中からハッスルでの活動の方が目立ってしまい、総合格闘家としての評価は定まらなかった。しかし、藤田和之はちがった。

藤田は名門日本大学レスリング部出身であり、アトランタオリンピック出場を目指したものの果たせず、1996年に新日本プロレスでレスラーとしてデビューする。その後退団し、アントニオ猪木のもとで総合格闘技に挑戦する。2000年1月にハンス・ナイマンに勝利し総合のデビュー戦を白星で飾ると、同年5月当時「霊長類最強の男」と呼ばれていたマーク・ケアーに判定勝ちをおさめる。大金星といっていい快挙だった。

プロレスラーとしての活動も並行して行っており、2001年にはスコット・ノートンを破り、IWGPヘビー級チャンピオンとなった。しかし、このベルトは年末のケガによって返上せざるを得なくなる。

多くのファンが藤田の試合として印象に残っているのは、やはり2003年6月に行われたエメリヤーエンコ・ヒョードルとの闘いだと思う。当時すでにPRIDEヘビー級王者だったヒョードルを右フック一発でぐらつかせたシーンは、日本の総合格闘技を語るうえで欠かすことのできない名場面となった。最終的には敗れてしまった藤田だが、この試合は決して藤田の価値を下げるものではなかったと思う。

翌年5月に行われたボブ・サップとの試合では、強烈なサッカーボールキックで野獣をタップアウトさせた。これが藤田を「リアルビースト」と呼ぶきっかけとなった。

ここまでの藤田の格闘家としての人生は順風満帆だった。僕も藤田の全盛期を知る世代だけれど、当時「日本人最強の格闘家はだれか?」と聞かれていたら間違いなく藤田の名を挙げていたと思う、それだけ彼の存在感は強烈だった。そして、世界の強豪からの勝利という明確な価値を手にしていた。

しかし、このような激闘は確実に藤田の肉体を蝕んでいった。次第に藤田から白星が遠ざかっていく。2006年7月には、PRIDEでは藤田より下の階級であるミドル級を主戦場とするヴァンダレイ・シウバにTKO負けを喫する。その後もかつてのような輝きは見られず、2009年の大みそかに行われたアリスター・オーフレイムとの試合では、膝蹴りで秒殺されてしまう。藤田は自力で立ち上がることが出来ず、担架に運ばれてリングをあとにする。

その後は師である猪木の設立したIGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)を主戦場とするようになる。ここではプロレスルールの試合と総合格闘技ルールの試合が混在していた。藤田は2012年7月にジェロム・レ・バンナを破ってIGF王座に輝くも、翌年の大みそかに柔道金メダリストの石井慧に敗れ、王座を失ってしまう。この頃の藤田はもうロートル選手とみられるようになっていた。ちなみに、このIGFの大阪大会に来場していた諏訪魔と邂逅したことがふたりの抗争のきっかけとなる。

2016年にはRIZINのリングで総合デビュー2戦目のバルトを相手にするも、圧倒的な肉体差を埋めきることが出来ず、判定負けを喫している。その後は中国でも試合を行うも、無残に敗北し、多くのファンから「藤田はもう引退した方がいい」という声が強くなってくる。

かつての藤田が総合格闘技に順応し、圧倒的な成果を手に出来たのは、もちろん彼の優れた資質と人並外れた努力があったからに違いない。しかし、プロレスラーになりきっていなかったがゆえに成功出来たという要因も間違いなく存在する。

藤田のプロとしての最初のスタートは新日のプロレスラー。しかし、かなり早いうちから総合のトレーニングを積み、試合に出場している。それは師である猪木の意向だった。そして藤田は総合のリングで世界の強豪を次々と撃破していった。本当はなりきれていない「プロレスラー」という肩書で‥。それゆえに、総合のリングにおける数々のレスラーの無残な敗北に悔しさを抱いていたプロレスファンから、藤田は救世主として迎えられた。肩書はレスラーではあったが、当時の藤田はどちらかといえば総合格闘家であったように思える。当時の藤田のプロレスの試合を「総合の選手がプロレスに出てみた試合」だと言われてから観せられても、なんの疑問も抱かないと思う。

過去の話が長くなってしまった。現在の藤田はかつてと同じように、プロレスと総合格闘技を並行しておこなっている。しかし、どちらも評価は芳しいとはいえない。プロレスでは天龍源一郎の引退興行で行われたタッグ戦から始まった諏訪魔との闘いが継続している。しかし、この抗争はファンの支持を得ているとはいいがたい。理由はずばり「観ていて面白くない」の一言に尽きる。

諏訪魔は対戦相手の良さを引き出せるほど器用なレスラーではない。屈強な相手と全力のぶつかり合いを演じ、会場を盛り上げるタイプのレスラーだといえる。しかし、藤田とのぶつかり合いに少し躊躇しているような様子が見られる。これが諏訪魔の評価を下げてしまっているような気がしてならない。一方の藤田は、正直まともなプロレスが出来ているようには思えない。
さいたまスーパーアリーナで行われた6人タッグマッチで、諏訪魔と相対するかたちで藤田も登場したのだが、これといって見どころらしい見どころもなかった。諏訪魔のユニットであるエボリューションに所属する新人の岡田佑介が憶することなく藤田にむかっていった姿ばかりが印象に残っている。そんな若者の攻撃を藤田はまるで効いていないかのように平然としていたが、プロレスの試合においてそれは正しいことなのだろうか?いくら圧倒的なキャリアの差があるとはいえ、諏訪魔との絡みが本筋だとはいえ、最低限のリアクションでもとって会場を盛り上げるのがレスラーの役割だったのではないだろうか。この試合を観て、僕自身も藤田と諏訪魔に対する期待がさらに下がってしまった。

完全に推測になってしまうのだけど、全日サイドはプロレスの技術に難のある藤田が諏訪魔と試合を行い、諏訪魔に大けがを負わせてしまうことを恐れているような気がしてならない。それでなければ、とっくにシングルマッチを行い、このダラダラとした抗争に終止符を打っているに違いない。

いまの藤田和之を観ていると、人生というものの切なさを感じてしまう。かつてはプロレスと総合格闘技という全く異なるジャンルで最大級の評価を得ていた男がいつの間にか総合の試合では連敗を重ね、プロレスの会場では「帰れ!」という言葉を浴びせられている。SNSなどを見ていても、いまの藤田を肯定的に捉えているファンはほとんど見当たらない。多くのファンは今の藤田にかつてのような強さはもう期待していない。残酷なようだが、身体にダメージを蓄積しきってしまった藤田には、もう期待のしようがない。むしろ無理に試合に出場し、かつての英雄にリング禍という悲劇が起こることを恐れている。ファンが望むことはただひとつ「藤田和之の美して幸福なラスト」なのではないだろうか。

現在、プロレスと総合格闘技は全くの別物として捉えられている。プロレスのファンも総合のファンもそれを理解している。だから「オカダ・カズチカが『超人』だというならRIZINのリングに立ってみろ!」などと言う人はいない。そんな人には冷たい視線が送られる。藤田が輝いていた時代は違った。プロレスと総合格闘技の距離は今とは比べものにならないほど近かった。強いレスラーは総合のリングでも強くなければならなかった。藤田はそんな時代の要請に見事に応えてみせた。そして名声を手に入れた。

しかし、時代は変わってしまった。レスラーの役割と総合格闘家の役割の違いが理解され、「専門化」が進んだ。その分、レスラーには観客を盛り上げる能力がより高く求められ、UFCを頂点とする総合格闘技のレベルは一気に上がった。まだ若かった中邑真輔は現代のプロレスに適応し、WWEで大活躍するまでになった。藤田は時代に乗り遅れてしまった。いや、時代が藤田を猛スピードで追い抜いてしまった。専門化が進んだプロレスにも総合格闘技にも、藤田は通用しない人材になってしまった‥。

藤田が自身の終着点をどこに設置しているのかは分からない。もしかしたら、藤田自身も分からないのかも知れない。だとすれば、今の藤田は迷走していることになる。しかし、藤田の人生は藤田が決めることだ。これまで猪木や他の人間とのしがらみに苦しめられることもあったと思う。終着点ぐらいは、たとえ不格好であっても、藤田自身が納得できるかたちであればいい。
僕たちは藤田から沢山の興奮や勇気をもらってきた。それは紛れもない真実。かつてのヒーローの懸命にゴールを探す姿を温かく見守るのも、ファンのあり方のひとつだと思う。先に「藤田和之の美して幸福なラスト」と書いたが、決して美しくなくてもいい。疲れきった野獣が、笑顔で幸せでいられるならば、僕はどんなラストシーンでも受け入れたいと思う。だから諏訪魔やゼウスや秋山社長、そして全日のファンには言いたい。「お願いだから、もう少し藤田のワガママに付き合ってくれないか!」と。

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