悲壮感なき「武藤敬司のプロレス団体」 W-1活動休止

プロレス団体「WRESTLE-1」(レッスルワン)が活動休止することになり、ファンのあいだで様々な意見が飛び交っていますね。

やはり目立つのは団体の創設者である武藤敬司への批判。

「トップとしての責任がなさすぎる」
「マスターズに出るヒマがあったらもっとW-1に出るべきだった」
「自分のことしか考えていない」

2017年に社長の座をカズ・ハヤシに譲ったとはいえ、創設者である武藤がある程度の批判にさらされるのは仕方ないとは思います。

しかし「武藤がダメだからW-1もダメになった」的な意見にはちょっと同意しかねるんですよね‥。

W-1は所属選手が決して少なくありませんでしたし、プロレスラーを育成する「プロレス総合学院」を持っていることもあり、若手は比較的充実していたと思います。

武藤は若手がガンガン主張することを嫌がるようなタイプではありませんし、若手が活躍しやすい団体だったのではないでしょうか。事実、団体のフラッグシップタイトルである「WRESTLE-1チャンピオンシップ」を芦野祥太郎、稲葉大樹といった若いレスラーたちも戴冠しています。

決してW-1の選手たちをバッシングするワケではありませんが、武藤の努力が足りなかったというならば、しっかりと活躍の機会を与えられていた若手だって努力が足りなかったと思います。武藤ひとりに責任を押しつけるのは、少し短絡的な気がします。

結局、W-1は最後まで「武藤敬司のプロレス団体」から脱皮できなかったような印象です。武藤を除けば群を抜いて人気のあった黒潮イケメン二郎が在籍したままなら結果は変わっていたかも知れませんが、エースの退団なんてよくあることです。それに対応できなかったのがW-1という団体の限界を示していたような気もします。

『週刊プロレス』でも当然のことながらW-1の活動休止について触れられています。そこで気になったところがありました。

「活動休止になる団体に対して適切ではないかも知れないが、個人的にW-1の魅力は悲壮感がないことだったように思う。(中略)ひとえに、武藤敬司の人柄だった。決して順風満帆とは言えない団体状況のなかでも、どこか笑い飛ばしてしまうような(内部の人間からしたら笑い事ではなかったかもしれないが…)、陽性の雰囲気、ある一時期までW-1を照らしていたのは、間違いなく武藤敬司の明るさだった。」(『週刊プロレス No.2058』 21ページ ベースボールマガジン社)

武藤の責任というか、ここがマズかったなと思うのは、武藤という圧倒的な陽性の存在があった影響か、W-1はたしかに悲壮感があまりなかったんですよね。これは実際に会場に足を運んだこともある僕の個人的な実感なので、もちろん人によって差異があるとは思います。

悲壮感って、実はけっこう大切な要素なんじゃないかと考えています。自分が好きな団体の会場に足を運んでみて、「なんか、みんな大変そうだな」と思えば、よりいっそう応援したくなるファンだっていると思うんです。

もちろん行き過ぎた悲壮感はお客さんもドン引きしてしまうので最悪なんですが、団体運営が厳しいのに悲壮感がないって、果たして良いことなんでしょうか?

武藤敬司という人間のスター性は間違いなく本物ですし、その陽性のエネルギーも素晴らしいものだとは思いますが、今回はそれがマイナスな方向に働いてしまったような気がします。

しかし、裏を返せば、そんな武藤の持つ独特な雰囲気を覆せるような強いエネルギーを持ったレスラーが他にいなかったということにもなります。武藤が第一線から退いたような状態にもかかわらずです‥。

それは非常に残念なことだと思います。

ひとつの団体が活動休止するということで、どうしても暗いブログになってしまいましたが、団体の活動停止なんてよくあることですし、今回は現時点でFMWのように人命が失われるような悲劇は起きていません。そこは本当に救いだと思います。

ひとりのプロレスファンとして、W-1のレスラーたちがそれぞれ新天地で活躍してくれることを祈るばかりです。

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