中西学のプロレス人生は、辛いけど豊かなものだったと思う。

2月22日、新日本プロレスの「野人」こと中西学が引退しました。

同じ「第三世代」の 天山広吉、小島聡、永田裕志とタッグを組み、 オカダ・カズチカ、棚橋弘至、飯伏幸太、後藤洋央紀という現在の新日を代表する選手たちと対戦。最後は棚橋に必殺のハイフライフローを決められ、人生最後のスリーカウントを聞きました。

会場は中西がはじめてIWGPを戴冠した後楽園ホール。コロナウイルスの不安が広がる中でも多くのファンが詰めかけ、野人のラストファイトを見守りました。

中西学はアマチュアレスリングでオリンピックにも出場した逸材中の逸材なんですが、その素質をプロレスで開花させきることが出来なかったような印象を持つ人が少なくないと思います。

決してそれが間違っているとは思いませんが、だからといって、彼のプロレス人生は不幸だったのかというと、それは全く違うと僕は考えています。

中西のプロレス人生って、辛いこともあったけれど、それと同時に本当に豊かなものだったと思うんですよね。

オリンピアンとしての運動能力を期待されてか、K-1の試合にも出場したことがあります。1RでのKO負けという完敗を喫してしまい、これによってレスラーとしての価値を落としたという見方もできます。

井上亘のジャーマン・スープレックスを食らって首を負傷し、長期欠場を余儀なくされたこともあります。このケガがなければ、もう少しレスラーとして活躍できたかも知れません。

でも、こういった出来事は中西学という男のプロレス人生をある意味で非常に豊かなものにしてくれたとも思うんですよね。

K-1という大きな舞台で戦えたことは、中西の知名度を高めることに大きく貢献したと思いますし、結果的には完敗を喫したことで「時代の波に翻弄された」という悲劇的なイメージも彼のキャラクターに加わり、変な言い方かも知れませんが、レスラーとしての深みが増したような気がするんです。

大きなケガをして長期欠場を余儀なくされたことは非常に不幸なことでしたが、結果的に中西はカムバックを果たし、ファンに大きな勇気を与えてくれました。

復帰後は試合での精彩を欠くようになったと言う人もいますが、「大ケガからの復帰」というストーリー自体に感動したファンがいたのは間違いないと思います。自らの物語でファンを感動させられるなんて、レスラー冥利に尽きるんじゃないでしょうか。

中西は明石家さんまの番組に準レギュラーのようなポジションで出演したり、後には「中西ランド」という自身の番組まで持ってしまいました。

かつてストロングスタイルをどストレートに継承するかのように思われた男がコミカルな姿で多くの人を笑わせる。

これを「情けない」と思う人もいるでしょうが、僕はそうは思いません。

肯定的な見方をすれば、すごく豊かな人生じゃないですか。

オリンピック出場にK-1挑戦というガチンコな部分だけではなく、コミカルな自分の内面も多くの人に見てもらい、受け入れてもらえた。

これって、情けないことですか?

オリンピックに出て、新日本プロレスでデビューして、ヤングライオン杯で優勝して、遠征先のアメリカでも大活躍して、G1で優勝して、総合格闘技もやって、K-1にも出て、IWGPを獲得して、さんまの番組に出て、ついには自分の番組まで持ってしまう‥。

こんなに豊かで面白い人生を歩めたレスラーって、滅多にいないんじゃないでしょうか?

もしかしたら、中西本人は不本意だったかも知れませんし、大ケガなんて本人にとっては不幸以外の何物でもないでしょう。

ですが、1人のファンから彼のプロレス人生を俯瞰すると、どうしても不幸なものだったとは思えません。

辛いこともあったけれど、それがゆえに豊かでもあったプロレス人生ではないでしょうか。

今は中西自身が自らのプロレス人生に納得し、笑顔で第2の人生を歩んでいってくれることを願うばかりです。

ご実家で営まれている茶業(中西はお茶で有名な京都の宇治出身)を手伝いながら、新日の活動にも携わるという話を聞きました。もしも中西がなにかの弾みで「野人の抹茶アイスクリーム」みたいなのをプロデュースしたら、ぜひ食べてみたいですね!新日の試合会場でワゴン車を出して売って欲しい笑。

中西さん、本当にお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。

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