プロレスにおける「表現の自由」って?

プロレスという極めて特殊な舞台において、どこまでの表現が許容されるのか?

すごくざっくりしているけど、すごく大切な問題だと思います。

僕がこの問題についてはじめて考えたのは、DDTプロレスリングに所属している男色ディーノをめぐる議論を目にしてからです。

 

ディーノは、そのリングネームがどストレートに表しているように、「男色=ゲイ」を自身のキャラとするプロレスラーです。

 

僕はディーノの試合を実際に何度か観たことがあるんですが、まず入場時にアナウンスがあります。聞いたことのある人も多いと思いますけど、
「これから入場してくる男色ディーノ選手はホモでございます!目をつけた男性のお客様にキスをすることがあります。男性のお客様はどうかお気を付けください!」
こんな感じです(笑)。

そして実際にディーノが布袋寅泰の『スリル』に乗って入場してくると、本当に何人かの男性客にキスをしてまわります。身長179センチ、体重105キロ、年齢42歳のおっさんレスラーが男性客に次々と襲いかかっていく様子は、プロレスの演出だと分かってはいるものの、色んな意味で強烈な記憶を観る人に与えてくれます。

ディーノがそのゲイっぷりを発揮するのは決して入場の時だけではなく、試合中も必殺の「男色ドライバー」をはじめとするゲイ殺法で相手を肉体的・精神的に追い詰めていきます。

僕は試合が終了しても若手レスラーのおカマを満面の笑顔で掘り続ける(もちろんガチではない)ディーノの姿を3列目というなかなかの好ポジションで目にしてしまったことがあり、彼のプロ根性に感服してしまいました。会場の多くのお客さんの視線が自分にむけられる中で腰を振り続けられるメンタルの強さは尋常ではありません。鋼のメンタルどころか、ダイヤモンドのメンタルです。

ディーノは学生プロレス出身で、学生プロレス時代からゲイキャラを演じています。実はけっこう歴史が長いんですね。ゲイキャラはディーノにとって一時的なアングルのようなものではなく、レスラーとしてのアイデンティティなのだと言っても過言ではないと思います。

 

こんなディーノなのですが、最近はその歴史あるキャラに疑問を抱く人たちも出てきているようです。

そりゃそうですよね。だって世の中「LGBT」というフレーズがすっかり定着し、性的マイノリティに関する課題を解決していこうという雰囲気になっています。ゲイを売りにするディーノのあり方に疑問を抱く人たちだって出てきますよ。むしろ、なんか遅かったなぐらいに思っています。やっぱりプロレスというジャンル自体は野球やサッカーに比べるとマイナーで目立ちにくかったというのが大きな理由だと考えています。

たとえば、プロレス・格闘技ライターである橋本宗洋さんはツイッターでこのように書いています。

橋本さんの場合は、決してディーノのキャラを否定しているのではなくて、入場時の過剰な煽りアナウンスに疑問を呈しています。個人的には、たしかにあのアナウンスには若干の違和感を覚えなくはありません。ゲイが危険だと茶化すことが許容されるのかどうかについては、やはり議論の対象になるだろうと思います。橋本さんはDDT関連のお仕事も多い方です。その方があえてハッシュタグまでつけてこのようなツイートをした事実は重いと思います。

 

プロレスとは、自由な空間です。スポーツとエンターテイメントの境界、ありとあらゆるキャラクターが織りなす群像劇、友情と裏切りの連続ドラマ‥。
ぶっちゃけ、なんでもありが基本だと思います。

しかし、プロレスは決して社会から完全に切り離されているワケではありません。プロレスだって社会全体の一部です。「プロレスだから」というひと言だけで全てが許容されるというのは全く違います。社会が要請するならば、時には変化していかなければならないでしょう。

 

話が抽象的になってしまいました(笑)。

ディーノに話を戻すと、彼はあのゲイキャラを貫き通すと思います。あれは彼にとってのアイデンティティなので、あのキャラクターを手放すことは、自身のキャリアの大半を否定してしまうことにもつながると思うからです。
ですが、入場時の「男色ディーノ選手はホモでございます!目をつけた男性のお客様に~」という煽りアナウンスは近い将来なくなるか、姿を変えると思います。なんとなく寂しい感じもしますが、プロレスも社会の一部である以上、今の社会の流れを完全に拒絶することは不可能だと思います。

 

このブログのテーマは「プロレスという自由な空間でどこまでの表現が許されるのか?」です。
決してディーノのことだけを語りたかったワケではありません。

問題提起をするワケではないのですが、ドラゴンゲートなどでよく行われている「敗者髪切りマッチ」もどうなるのかなと思っています。
あれって、自分が応援しているレスラーが敗けてやられちゃうと、けっこう辛いんですよね…。

勝負に負けた人間に対してさらに肉体的・精神的な屈辱を与えるというパフォーマンスってどうなんだろう?と思ってしまいます。
そこから敗者の復活ストーリーが始まったりもするので、もちろん意味があってやることだとは理解しているんですが、ちょっと疑問に感じる時もあります。

最近、いじめの動画がネットに流出して騒ぎになったりしています。
もしも、加害者が被害者の髪の毛を無理やりバリカンで刈る動画が流出して大炎上したら、プロレスの敗者髪切りマッチに対する見方が変化してくるかも知れません。
そんな悲しいことが起きないように願ってはいますが…。

 

なんどもしつこいですが、プロレスは自由な空間です。自由ということは、どんどん面白いアイデアが飛び出してくるということです。
今ごく自然に観ているパフォーマンスがなくなってしまったり、姿を変えてしまったりしても、きっとまた面白いものをプロレスは僕らに見せてくれるハズです。

柔軟に、時には変化も受け入れて、自由なプロレスを楽しんでいきたいですね。

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