青木篤志 さらば、青き閃光

「プロレスラーの青木篤志さんが事故死」

この見出しを目にしたとき、僕はそれを現実のものとして瞬時に受け止めることが出来なかった。
青木篤志という、自分がよく知っているレスラーが突然にこの世を去ってしまったということがどうしても信じられなかった。

しかし、複数のメディアが青木の死を報じていた。青木がバイクの事故で死去したというのは、疑いようのない事実だった。

僕はプロレスについての情報収集は主にツイッターで行っているのだけれど、ツイッターのタイムラインには「青木」「バイク事故」というワードで溢れかえっていた。青木の死は、日本のプロレス界に大きな衝撃を与えた。

亡くなった人間にたいしてこんなことを言うのは失礼かも知れないけれど、青木というレスラーがこれほど認知され、その死が悼まれているという事実に少し驚いてしまっている自分がいた。青木は、自分が思っているよりもずっとすごいレスラーなのかも知れない。

 

「青木篤志というレスラーをもう一度しっかりと知りたい」
そんな想いが僕の中に芽生えていた。このブログは、皆さんに読んでいただくと同時に、僕自身が青木というレスラーについてもういちど「復習」するために書こうと思う。

 

青木篤志は1977年に東京都大田区で生まれた。高校時代からアマチュアレスリングで活躍し、卒業後は陸上自衛隊に入隊した。2005年にプロレスリング・ノアでレスラーとしてデビューする。すでに28歳。レスラーとしてはかなり遅いデビューだった。ノア入門時には同団体のトップ・レスラーのひとりである秋山準の付き人となった。この秋山との師弟関係は、青木の人生を語るうえでどうしても欠かせないものになる。

青木はノア時代、丸藤正道や鈴木鼓太郎とタッグを組み、GHCジュニアヘビー級タッグ王座を獲得している。間違いなくジュニア戦線では活躍していたのだが、どうしてもタッグ屋という印象があり、丸藤やKENTAといったノア黄金期を彩ったジュニア戦士たちと比べると、どうしても地味な印象がある。

そんな青木に転機が訪れる。2012年末に師である秋山、金丸義信、鈴木鼓太郎、潮崎豪らと共にノアを退団し、全日本プロレスに参戦したのだった。2014年にはウルティモ・ドラゴンを破り、世界ジュニア王座を戴冠。悲願のシングルベルトをその腰に巻いた。

当初は外敵というポジションだったものの、青木は全日に溶け込んでいく。同団体のトップレスラーの諏訪魔が率いるユニット「エボリューション」に加わり、その中で同じジュニア戦士である佐藤光留とタッグ「変態自衛隊」を結成する。その佐藤とのタッグで全日のヘビー級のリーグ戦である「世界最強タッグ決定リーグ戦」にも参戦。体格で上回るヘビー級のレスラーたちを相手に死闘を繰り広げる。

しかし、せっかくノアを退団し、正式に所属した全日に次々と危機が訪れる。青木と共にノアから移籍した潮崎、金丸、鼓太郎が退団してしまったのだった。ヘビー級エースの潮崎、ジュニアの実力者である金丸・鼓太郎の退団はあまりにも痛かった。
ただでさえW-1との分裂で選手が少なくなっていた全日は、さらに所帯が小さくなってしまった。この危機的な状況で全日の社長を務めていたのは、デビュー当時から青木の師匠である秋山だった。そして、青木はその師に付き従うように全日に残留し、獅子奮迅の活躍を見せることになる。

全日において、ヘビー級レスラー同士がぶつかり合うリーグ戦「チャンピオン・カーニバル」は長い歴史を誇る一大イベントである。このリーグ戦にエントリーされるということは間違いなく名誉なことなのだが、それはあまりにも過酷な連戦の中に身を投じるということでもある。

2016年のチャンピオン・カーニバルは危機に見舞われていた。全日の人気外国人レスラーであるジョー・ドーリングに脳腫瘍が発見され、ジョーがチャンピオン・カーニバルに参加することが出来なくなったしまったのだった。三冠王座にも就いたことのある実力者の欠場はあまりにも痛かった。しかも、ジョーの代わりを務められるようなレスラーが見つからないほど、当時の全日の選手層は薄かった。

そこに名乗りを上げたのが青木だった。純然たるジュニアの青木がジョーの代役としてカーニバルに出場することになったのである。かつて佐藤と共に参加した「世界最強タッグ決定リーグ戦」とは違い、今度はひとりでヘビー級のレスラーを相手に闘わなければならない。相当な覚悟がなければ出来ない決断だった。しかし、自らを育ててくれたノアを退団してまでやってきた新天地である全日、そしてなによりも社長として窮地に追い込まれてた師匠の秋山のためにも青木は決断したのだった。

そして、青木はリーグ戦で敗退した。内容は3戦3勝。勝ち点は6点にとどまった。しかし、青木のこの自己犠牲的な貢献は多くの全日ファンからの支持を得た。青木篤志は間違いなく、危機的状況に瀕した全日の救世主になった。

その後の青木は全日ジュニアの中心選手として活躍していく。全日はジュニアの層が極端に薄い。ジャイアント馬場の存命時から在籍している渕正信はレジェンドだが、レギュラー参戦できる年齢ではない。青木のパートナーである佐藤は全日の所属ではなく、パンクラス・ミッションという、総合格闘技団体「パンクラス」のプロレス部門に所属している。全日所属選手でジュニアのトップを張れるのは青木ひとりという状況が長く続いた。

その後、名古屋の団体に所属していた岩本煌志が全日に移籍し、全日生え抜きの若手である岡田佑介も次第に成長。徐々に全日のジュニアが厚くなりつつあった。さらに大森北斗、田村男児といったジュニアの新人レスラーも続々とデビューしている。青木が守ってきた「全日ジュニア」がだんだんと大きくなってきていた。

今年の5月には青木は世界ジュニア王者である岩本を破り、世界ジュニア王座に返り咲いていた。41歳の青木はレスラーとしてまだまだやれるということを知らしめたばかりの事故だった…。

 

青木篤志という男は、本当に責任感の強い男だと思う。師である秋山とともに移籍した全日を去るということは、青木には出来なかった。移籍したレスラーたちが無責任というわけではない。しかし、青木にとっては秋山と共に全日に残ることが、自らの存在証明だったのだと思う。そして、全日に残るという自らの選択にまで責任を持つかのように、青木は団体のために死力を振り絞ってきた。

 

青木の死を悼む声は、全日だけではなく、古巣であるノアや他団体に所属しているレスラーたちからも数多く聞こえてくる。同じ業界の仲間の死を悼むというのは当然かも知れないが、やはり青木というレスラーに対する数多くのリスペクトを感じる。義理やマナーという言葉では片づけられないようなものがある。かつての同僚である丸藤や杉浦貴といったレスラーが綴った追悼の文章を読むと、とてもかつて袂をわかった元同僚に対するものとは思えない切なさと敬意を感じる。

青木を知るレスラーならみんな分かっているのだと思う。青木が決して自分のためだけにノアを退団したわけではないということ。新天地の全日で脇目もふらずに努力し続けてきたこと。多くの後輩レスラーの模範になってきたこと。そしてなによりも、自分の決断に責任をもって死力を尽くす男だということを。

青木は決して華やかなレスラーではなかった。しかし、彼の生きざまはどんなパフォーマンスやド派手な空中殺法もかなわない凄みを持っている。青木は生き様で最後までファンを魅了してくれたのだと思う。願わくば、その生き様をもっと長く見ていたかった。

青木篤志、さようなら。そしてありがとう。

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