「平成のプロレス」とはなんだったのか

もうすぐ平成が終わる。31年にも及んだこの元号の時代、日本のプロレスはどんな歩みをしてきたのか?ついそんなことを考えてしまう。よく「昭和のプロレス」という言葉が使われるけど、今回は自分なりに考えた「平成のプロレス」について語りたい。僕の独断と偏見なので、そこはあしからず。

 

「平成のプロレス」をひと言でまとめると、「プロレス最強神話からの脱却」ということになると思う。日本のプロレス界には、アントニオ猪木を源流とする「プロレスこそ最強である」という価値観が間違いなく存在した。猪木はモハメド・アリらとの異種格闘技戦を通じて、その価値観を体現してきた。そして、猪木のもとから巣立っていった前田日明や高田延彦らによって、その価値観はよりいっそう強化されていった。

 

しかし、平成という時代に突入したとき、日本のプロレスは総合格闘技という新たなライバルと邂逅することになる。プロレスは最強であるという価値観が存在する以上、プロレスラーは総合格闘技のリングで勝利しなければならなかった。その最初の挑戦者は、プロレス最強神話の象徴ともいえるUWFインターナショナルの総帥でもあった高田延彦だった。しかし、高田は総合のリングでブラジリアン柔術の猛者であるヒクソン・グレイシーの前に無残な敗北を喫した…。

 

プロレス最強神話は高田の敗北によってあっけなく打ち壊された。アントニオ猪木は神話を守るかのように「よりによって(高田というレスラーの中で)いちばん弱いやつが出ていった」と口にした。
しかし、猪木は自らの手によって多くの新日本プロレスのレスラーを総合のリングに送り込むという過ちを犯してしまう。「キング・オブ・スポーツ」「最強」というフレーズによって彩られていた新日だったが、あくまでもプロレス団体。いくらその団体のトップレスラーとはいえ、総合のリングでそう簡単に勝てるワケがなかった。

永田裕志、ケンドー・カシンといったレスラーたちが総合のリングにあがり、無残に散っていった。プロレス暗黒時代の始まりだった。業界の雄として君臨してきた新日はファンの支持を失い、暗闇の中を彷徨っていた…。

 

桜庭和志、藤田和之のように総合のリングでトップの格闘家たちに勝利し、プロレスの強さを証明してみせた者たちもいた。しかし、彼らは次第に「プロレスラー」ではなく、「総合格闘家」になっていった。藤田がプロレスのリングに上がるのはビッグマッチに限定された。「強いプロレスラー」は地方での巡業にはやってこなかった。

 

日本のプロレス界は、「プロレスこそ最強である」という価値観を転換せざるをえない時期に差しかかっていた。

 

新日が迷走していた時期に輝いていたのが、三沢光晴ひきいるプロレスリング・ノアだった。アメリカでエンターテイメント性の強いプロレスを体験し、それを日本でも実践していたジャイアント馬場が率いる全日本プロレスをルーツに持つノアは、杉浦貴など一部のレスラーを除いて総合のリングにレスラーを派遣することはなかった。三沢にとって、プロレスと総合は全くの別物だった。師である馬場と同じく、三沢の中でも「プロレスとはプロレスである」だった。

ノアは新日が総合格闘家をも交えたバトルロイヤルもどきの「アルティメット・ロワイヤル」というワケの分からないものをやって観客の失笑を買っている時期にも、正統派のプロレスでファンの支持をつかんでいた。新日の迷走によってプロレス業界のパワーバランスは完全に崩れた。プロレス界を支えていたのは「プロレスとはプロレスである」というジャイアント馬場の価値観といっても過言ではなかった。

平成という時代に、「プロレスこそ最強である」という猪木イズムは完全にファンの支持を失った。

 

有名な警句に、「最も強い者が生き残るのではない。唯一生き残ることができるのは、変化できる者である」というものがある。

現在の日本プロレス界の状況を見てみると、その警句の正しさを実感する。あくまでも最強神話にこだわる猪木から完全に距離をとった新日は、WWE的なレスラーのキャラクター強調、ストーリー重視のプロレスへの完全転換に成功。業界の売上の約半分を新日が占めるといわれるまでの完全復活を遂げた。

団体のもっとも重要な価値観である「最強」を完全に払しょくしたことで蘇るとは、なんとも皮肉なものだと思う。

 

かつて一世を風靡した桜庭や藤田といった数少ない格闘技に適応できたレスラーたちは、現在の進化したプロレスについていくことが出来ていない。
桜庭は新日にも参戦したが、一時的な話題を呼んだものの、継続的な参戦にはつながらなかった。現在はプロレスからも距離を置き、グラップリングを主戦場にしている。藤田はプロレスのリングに上がり続けているが、かつての輝きはもはや見られない。プロレスの変化は、かつて最先端にいた男たちをあっという間に置き去りにしてしまった。

 

この文章を書いている平成31年ん3月31日、東京の両国国技館では東南アジアを主たる市場としている総合格闘技団体『ONE Championship』が初の日本大会を開催している。この団体は豊富な資金力をバックに、修斗とパンクラスという日本の総合格闘技団体を傘下におさめた。両団体とも、新日の出身者が創立した歴史がある。新日本体が失った「最強」という価値観を追い求め続けていた両団体がその独自性を失うかも知れない。この大きな出来事が平成が終わろうとしているこの時期に起きたことに、偶然とは思えぬなにかを感じてしまう。

 

プロレスは滅びなかった。しかし、プロレスはもはや最強ではない。これは残酷だけれど、間違いようのない真実だ。しかし、最強というくびきから解き放たれた日本のプロレスには、無限の可能性があるように感じているのはぼくだけだろうか?

Follow me!