大森隆男 不器用すぎる剛腕プロレス人生

大森隆男というレスラーがいる。日本人離れした身長190センチという長身。ぱっちりとした瞳にすっと通った鼻筋。間違いなくイケメンレスラーだといえる。しかし、そんな大森のプロレス人生は、その端正なルックスと相反するように、時に泥臭く、見苦しくも見えるものだった…。

 

大森は城西大学のアメフト部で活躍。その後アニマル浜口ジムでプロレスラーになるべく肉体を鍛え上げ、全日本プロレスに入団する。同期には、現在全日の社長を務める秋山準がいた。
秋山と大森。入団した時からこのふたりには差があった。名門専修大学レスリング部出身の秋山はいわばエリートだった。プロレスの飲み込みも早く、あっという間にレスラーとして大森を追い抜いていった。大森が決して期待されていなかったワケではないが、不器用なところがあり、レスラーとして一人前になるのに時間がかかった。彼のプロレス人生は、当初から決して順調なものではなかったのだ。

 

そんな大森だったが、逞しい剛腕を活かした「アックスボンバー」というあのハルク・ホーガンも得意とする技を身につけるようになると、それを必殺技として上昇のきっかけをつかむ。

さらに、大森にとって人生で最良のパートナーが現れる。それが高山善廣だった。格闘技色の強いUWFインター出身の高山は、なかなか全日の王道プロレスに馴染めず、苦しい日々を過ごしていた。そんな不器用なふたりが意気投合して結成したタッグ。それが「NO FEAR」だった。全日には珍しい日本人同士のヒールタッグだったが、人柄の良さを隠せない2人が不器用にヒールを演じる姿は圧倒的なファンの支持を集めた。アジア・タッグ王座、世界タッグ王座という全日のタッグ王座を同時に保持するという快挙も成し遂げた。

 

大森個人の活躍としては、2000年のチャンピオン・カーニバルでの大躍進があった。その年のチャンカーはリーグ戦ではなくトーナメント戦で開催されたのだが、1回戦で同期であり入門当時からのライバルである秋山準を秒殺。さらに準決勝では元三冠ヘビー級王者でもあるスティーブ・ウィリアムスをアックスボンバーで下すという大金星をあげて決勝に進出した。決勝の相手である小橋健太には激闘のすえに敗れるが、このチャンカーによって大森の評価は大いに高まった。

 

その後、全日は激動に見舞われる。故ジャイアント馬場夫人である馬場元子と対立した三沢光晴はプロレスリング・ノアを旗揚げ。多くの全日レスラーは三沢と行動を共にした。その中に、大森の姿もあった。大森は新たに生まれた団体の中で、三沢、小橋、田上、秋山のように中心的な役割を果たすハズだった…。

 

2003年、大森はノアを退団する。ノア社長である三沢は「大森がノアのリングに上がることはない」と断言した。親分肌な性格の三沢が後輩レスラーにこれほど厳しい言葉を投げつけるのは珍しい。退団直前の大森のアメリカ遠征の際に、大森が会社に無許可でWWEのトライアウトを受けたのが原因など様々な説があるが、大森とノアとの間にすれ違いがあったのは間違いないだろう。そして、ここから大森の迷走が始まってしまう。

 

ノアを退団した大森は、長州力が設立したWJプロレスに参戦する。越中詩郎とタッグを結成したり、天龍源一郎や長州からシングルで勝利するなど実績をあげる。しかし、WJプロレスは1年も立たずに崩壊してしまう。

 

その後は古巣の全日本プロレスのリングで川田利明の持つ三冠ヘビー級王座に挑戦したり、ZERO1-MAXに旗揚げから所属として参戦するなどの活躍を見せるが、かつてのライバルである秋山が当時人気絶頂にあったノアで輝いていたのに比べると、どうしても大森の姿には都落ち感が出てしまっていた。

2008年にはZERO1-MAXを退団。2010年には妻が働く旅館を手伝うというレスラーらしからぬ理由で金沢に拠点を移して旅館兼業レスラーとなることを発表する。しかし、この試みは長続きせず、結局は妻と離婚し、拠点を東京に戻した。この時期の大森は、レスラーとしてマット界のどん底を必死の思いで這いずり回っていた。かつて見せていた輝きは完全に失われてしまったかのようだった。
レスラーとしての素質は素晴らしかったものの、その不器用さがゆえに、このまま潰れてしまうのではないか。そんな声も聞かれるようになっていった…。

 

悪戦苦闘中の大森だったが、2011年に古巣の全日本プロレスに参戦したことが大きな転機になった。王道マットはかつて自ら去っていった不器用な大男を受け入れてくれた。そして、全日の若手だったひとりのレスラーが、大森にとって高山以来のベスト・パートナーとなった。そのレスラーの名は征矢学。そして大森と征矢が結成したタッグこそ「GET WILD」だった。

GET WILDは海外に流出していた世界タッグ王座を取り戻すなどの実績を築いた。しかし、そんな実績以上に注目されたのは大森と征矢のキャラクターとしての強さだった。天然ボケなふたりが繰り広げる珍問答はファンからの人気を集め、「笑い」という要素で王道マットを彩った。しかし、試合になればすさまじい強さを発揮する。それがGET WILDだった。
このGET WILDは征矢の退団によりいちどは途切れてしまうものの、2016年に団体の壁を越えて再結成。世界最強タッグ決定リーグ戦で全勝優勝を成し遂げるという快挙を達成する。

 

2014年は大森にとって実りの年となった。その年のチャンピオン・カーニバルでついに悲願の初優勝を成し遂げる。さらに、当時の三冠王者だった曙の王座返上による新チャンピオン決定戦が行われ、大森は秋山を破り、第48代の三冠王者に輝いた。大森にとってあまりにも遅すぎた栄光だった。しかし、数年前まで廃業の一歩手前まで追い込まれていた男にとって、チャンピオンになったのが遅すぎたかどうかなど、どうでもいいことだった。大森は自らの力で、剛腕をもって逆境を粉砕してみせたのだった。

 

大森は現在、全日本プロレスの取締役を務めている。ライバルで現在は社長である秋山を補佐するポジションであるともいえる。なんだかかんだいっても、このふたりは相性が良いのかも知れない。その証拠というわけではないけれど、ここ数年、全日にかつての勢いが戻ってきている。後楽園ホールが満席になり、若き三冠王者である宮原健斗には多くのファンがつくようになった。ジェイク・リー、野村直矢といった若手の台頭も著しい。

取締役である大森は、レスラーとして第一線から退いているようにも見える。第1試合で若手相手に試合をすることも多い。しかし、会場での彼の人気は変わらない。入場局である「Get Wild」が流れると、観客は手拍子で彼を迎え入れ、必殺のアックスボンバーが決まった時は大きな拍手が起こる。

迷走の末にたどり着いた全日という古巣で、白髪も目立つようになったかつてのイケメンレスラーは、今日も楽しそうに全力でプロレスをしている。

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