青柳優馬 若きロックスターはなにを奏でる?

2018年7月29日。全日本プロレスはエディオンアリーナ大阪第1競技場で、関西では久しぶりとなるビッグマッチを開催した。メインは宮原健斗VSゼウスの三冠ヘビー級選手権試合。その前に組まれたのは、秋山準・永田裕志(王者組)VS野村直矢・青柳優馬(挑戦者組)のアジアタッグ選手権試合だった。かつての全日では完全に前座扱いされていたアジアタッグの試合がビッグマッチでセミに抜擢されたというのは、僕にとって少し驚きだった。秋山・永田という大物タッグの試合だからだろうか?もちろんそれもあるだろうが、僕には全日が野村・青柳という若い世代にかける期待の大きさがセミ抜擢につながった大きな理由ではないかと思っている。

野村と青柳は、若さと元気の良さを武器に大物タッグにぶつかっていった。青柳は秋山を場外フェンスに投げて痛めつける。青柳の体格は決して秋山に劣らない。挑戦者組がペースを握ったように思われた。しかし、そう簡単に攻略できる相手ではなかった。ベテランふたりは挑戦者組の猛攻を耐え抜くと、すさまじい反撃に出た。永田のキック、秋山のニーが野村と青柳を痛めつけていく。秋山は必殺のエクスプロイダーを青柳に見事に決める。万事休すかと思われたが、野村のカットもあり、青柳はカウント3を逃れる。しかし、圧倒的なキャリアの差を見せつけられ、挑戦が失敗に終わるのは時間の問題かと思われた。
しかし、青柳にも意地があった。このアジアタッグのベルトはかつて野村とふたりで自らが戴冠していたものだった。ケガによる欠場で返上を余儀なくされ、復帰後に再び野村と組んで挑戦したが、新たに王者となっていた永田・秋山にその挑戦は退けられた。今回は同じ王者組に対する2度目の挑戦だった。背水の陣。絶対に負けるワケにはいかなかった。そして、秋山の怒涛の攻撃を耐えた青柳は、自身の得意技である「ロックスターバスター」でついに秋山からピンフォールを奪ってみせた。GHCヘビーを3度、三冠ヘビーは2度戴冠している文句なしの大物レスラーから直接勝利を奪うという最高のかたちで、青柳はアジアタッグのベルトを再び自らの腰に巻いてみせた。彼のプロレス人生に間違いなく刻まれるであろう、栄光の瞬間だった。しかし、青柳がその栄光にたどり着くまでには、あまりにも過酷な道のりを歩んできたのだった…。

青柳優馬は長野県松本市に生を受けた。中学まではサッカーをしていたが、子どもの頃から父親と一緒に観ていたプロレスの世界に次第に心惹かれるようになる。高校に進学する時には、プロレスラーになる決意を固めていた。そして、2014年に地元の高校を卒業すると同時に全日本プロレスに入団した。高校を卒業したばかりの18歳、まだ何色にも染まっていない真っ白な新弟子だった。
入門した年の末に、後に三冠ヘビー級王者となる宮原健斗を相手にデビュー戦を行った。そのデビュー戦のレフェリーはジャイアント馬場の時代からメインレフェリーを務めてきた和田京平。青柳はブルーのコスチュームを身に着けてデビュー戦に臨んだが、それは全日の社長でもある秋山準からのプレゼントだった。このようなシチュエーションから、会社の青柳にかける期待を推測してしまうのは、僕だけではないと思う。

身長186cmと上背のある青柳だったが、デビューしてしばらくはジュニア戦士として活動することになった。全日ジュニアには、昔から大柄なレスラーが少なくない。小川良成も渕正信も180cm以上あった。そのような先輩にならったかどうかは分からないが、どことなく大人しそうな19歳の少年は、全日ジュニアでプロレスラーとしての最初のキャリアをスタートさせたのだった。

青柳が入団した翌年の2015年、全日に激震が走る。ヘビー級のエースである潮崎豪、ジュニアで活躍していた金丸義信と鈴木鼓太郎が退団してしまったのだった。青柳のデビュー戦の相手を務めた宮原は、潮崎と戴冠していた世界タッグ王座を返上せざるを得なくなった。人気選手の退団により、全日の見通しは一気に暗くなった。「全日もとうとうおしまいだ」そんな冷ややかな声も聞かれるようになった。

そんな状況を敏感に察知したのか、青柳は新人らしからぬ積極的なアピールを開始する。「先輩がいなくなった分は俺が埋める」と言わんばかりに、ベルトに対する意欲をむき出しにし始めた。2016年2月には中島洋平が保持するGAORA TV王座に挑戦。体格的には優位に立つ青柳だったが、経験の差はいかんともしがたく、中島の前に敗北を喫する。それにめげることなく、今度は団体の枠を超えて開催されるジュニアのトーナメント「スーパーJカップ」に参戦する。初戦の相手は親日のヒールユニット「鈴木軍」に所属するタイチ。GHCジュニア王座を戴冠したこともある猛者の前に、青柳は良いところなく初戦敗退。試合後、タイチは青柳に対して「あんな小僧は俺とやるレベルじゃない」と辛らつなコメントを残した。
この頃の青柳は、意欲だけはあるものの、まったく結果がついてこない状態だった。プロレスという厳しい世界で、青柳は空回りを続けていた。

そんな青柳に訪れた転機は、デビュー戦の相手も務めた宮原健斗率いるユニット「NEXTREAM」への加入だった。タッグマッチで宮原・ジェイク・リー組と対戦し破れたものの、プロレスに対する執念を宮原から認められ、試合後に直接勧誘されたのだった。青柳は全日をけん引する若き王者のすぐそばでプロレスをすることになった。

2017年1月には、DDTプロレスリングの石井慧介に流出していた全日ジュニアの至宝である世界ジュニア王座を取り戻すべく石井に挑戦。のちに秋山をも沈めることになるロックスターバスターは、この石井戦のために開発された。残念ながら試合には敗北してしまったが、全日の代表としてベルト奪還に挑んだという経験は、青柳にとって大きな自信となった。

8月に開催された両国国技館大会では、かつて敗北を喫したタイチと再戦。大舞台でのリベンジが期待されたが、あと一歩勝利には届かなかった。しかし、試合後タイチは青柳の成長を認めるようなコメントを残した。ヒールであるタイチが、対戦相手を評価するようなコメントをすることは決して多くはない。青柳はジュニアの実力者から自身のプロレスを認められたのだった。
しかし、デビューから3年の月日が経っていた。青柳の肉体は、ジュニアで闘い続けるには、少し大きくなり過ぎていた。その年の9月、青柳はヘビー転向を表明した。

僕は青柳のヘビー転向には大賛成だった。全日にはジュニア戦士が不足していたが、そんな理由で青柳がジュニアにとどまるのはおかしい。将来的には三冠ヘビーも狙えるのではないかと、僕は勝手に青柳を評価していた。

ヘビーに転向した青柳は、野村直矢とタッグを組み、当時TAKAみちのく・ブラック・タイガーナナⅦが保持していたアジアタッグのベルトに挑戦した。試合巧者のふたりに徹底的にいためつけられた青柳だったが、強力なパワーを誇る野村の活躍もあり、見事アジアタッグ王座を獲得する。プロレス人生で初のタイトルだった。

野村と青柳のタッグは、全日の明るい未来を象徴しているかのようだった。日本のプロレスファンは、その団体生え抜きのレスラーが活躍しないと寂しくなってしまう。宮原はダイヤモンド・リング(旧健介オフィス)出身、ゼウスは大阪プロレスの出身、秋山と大森はどちらも出戻り組。ジェイクもいちど退団を経験している。主力級のレスラーで生え抜きなのは諏訪魔だけという状況がずっと続いていた。野村・青柳は久しぶりに登場した全日生え抜きのチャンピオンだった。ふたりには大きな期待が寄せられ、それに応えるかのように野村・青柳は防衛を続けていった。そして、青柳は2017年度の「プロレス大賞 新人賞」に選ばれた。宮原もジェイクも野村も獲れなかった新人賞。新日の勢いが猛威を振るう中、青柳の新人賞受賞は全日ファンの大きな祝福に包まれた。青柳はプロレス人生で最初の絶頂を迎えていた。

しかし、最初の絶頂はあまりにも短かった。2018年1月に行われた新木場大会において崔領二が仕掛けた場外へのリフトアップホイップの着地に失敗し、右足を骨折してしまったのだった。ひとりで歩くことも出来ず、おんぶされて退場していく青柳の姿。プロレスの神様はあまりに残酷だった。青柳は頂点からどん底に一気に突き落とされた。せっかく野村と掴んだアジアタッグ王座は、当然返上ということになってしまった。

手術が必要なほどの大ケガだったが、青柳は前向きだった。一刻もはやく復帰することしか考えていないようだった。ツイッターを通じて、自身が返上したアジアタッグ王座の新チャンピオンである秋山・永田に対して「欠場中の身ではありますが復帰後、僕に挑戦させてください。 秋山さんと永田さんが持つアジアタッグに挑戦したいです!」という挑戦表明を行ったのだった。デビュー当時はどことなく大人しそうな印象だったが、NEXTREAMという刺激の中に飛び込み、タイチという毒気に触れ、アジアタッグ王座獲得に新人賞受賞という実績を積んだことにより、青柳は良い意味で図々しさを身につけていたのだった。

2018年6月。青柳優馬は約6ヶ月にわたる長期欠場から復帰した。その時、全日にはちょっとした事件が起きていた。同じく欠場していたジェイク・リーが青柳の少し前に復帰したのだが、復帰をファンに発表するその場で、NEXTREAMからの脱退を表明したのだった。全日の構図が変わろうとしていた。
青柳は自身の復帰を発表する際に、さっそくジェイクに噛みついた。そして、自身はNEXTREAMの一員としてこれからも闘い続けることを明言した。復帰からいきなり、青柳はジェイクという先輩と敵対することになった。そして復帰戦では、タッグマッチながらそのジェイクと対戦。欠場によるブランクも響き、ジェイクのバックドロップの前に轟沈した。屈辱の敗戦。しかし、そんなことに動じない打たれ強さと図々しさを青柳は身につけていた。

ツイッターでの宣言通り、青柳はふたたび野村と組んで、秋山・永田の持つアジアタッグ王座に挑戦した。しかし、上に書いた通り、最初の挑戦では野村が永田のバックドロップの前に敗北。王座奪取はならなかった。しかし、青柳は決して諦めない。異例の連続挑戦を要望したのだった。王者がタイトル陥落後にダイレクトリマッチするならともかく、いちど破れた王者に対して同じチャレンジャーが連続で挑戦するのは、現在の日本のプロレスではあまり例がない。しかも、そのチャレンジが組まれたのは、エディオンアリーナ大阪第1競技場。全日にとって久しぶりの関西でのビッグマッチだった。

試合に臨む前の青柳の緊張たるや、すさまじいものだったと思う。連続で挑戦しておいて、ふたたび敗北するようでは、新人賞の栄光もかすんでしまう。下手をすれば、ベルトをめぐる争いからしばらく遠ざかってしまう恐れもある。挑戦者だからといって、失うものがない闘いではなかった。しかし、野村・青柳は勝利した。正直、技術的にはまだつたない点があった。王者組の方があきらかにプロレスが上手かった。しかし、会場からは大きな声援と拍手が野村・青柳に送られた。かつてのように、単純に「全日の希望」としてふたりを見ているからではない。ファンは知っている。青柳がかつて負け続け、空回りし続けたことを。若くして最初の絶頂をつかんだのもつかの間、あっという間にどん底に突き落とされたことを。そしてなによりも、かつて大人しそうな少年だった青柳がレスラーとして大きく成長していることを。

試合終了後、秋山は野村と青柳になにかを語りかけていた。まるでふたりの新人に説教する社長そのものだった。真摯な表情でそれを聞くふたり。そして、秋山とふたりに交わされた握手。会場は大きな拍手に包まれた。たしかに課題のあるタイトルマッチではあったが、秋山はふたりを認めた。かつて全く歯が立たなかった秋山から勝利を奪い、自らの勝利を認めさせた。この日、青柳優馬はまたひとつ上のステップに上がった。

青柳の勝負はこれからだ。野村と共にベルトの価値、そして全日本プロレスの価値を高めていかなければならない。挫折と、栄光と、そしてふたたびの挫折を乗り越えた若きロックスターは、いったい僕たちにどんな音色を聴かせてくれるのだろうか?

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