書評 『証言UWF 最後の真実』宝島社

この本はノンフィクションというよりも、タイトル通り「証言集」とでも評した方がいいのかも知れない。新旧(第1次・第2次)UWFにかかわりをもった17人の男たちが、堀江ガンツら著名なプロレス・格闘技ライターの取材に応じるかたちで当時のUWFの内幕を語っている。前田日明、藤原喜明、山崎一夫、鈴木みのるといったお馴染みのU系レスラーからターザン山本のようなプロレスメディア関係者や営業としてUWFに関わっていた川崎浩市まで、証言者は多岐にわたる。彼らの言葉を通じて、UWFという一世を風靡した「運動体(ターザン山本の言葉)」の姿に徐々に迫っていく。

 

この本を読み進めるうちに、読者はひとつのことに気づかされる「この人の話は、さっきの証言と矛盾していないか?」というものである。証言者によって、語られる内容が変わる。それは時として他の証言者の主張と真っ向からぶつかる。

たとえば、前田日明は第2次UWF崩壊の主たる要因として、社長である神真慈や専務である鈴木浩充らフロント陣の会社資金の使い込みを主張する。実際に前田は当時も神社長らを「公金横領の疑いがある」と公然と批判した。当然ただで済むワケもなく、前田は出場停止処分を受けてしまう。そしてその批判から約3ヶ月後に行われた長野県の松本大会を最後に第2次UWFは解散してしまう。前田の主張によれば、神社長らは会社の金で自分たちの車やマンションを購入し。贅沢な暮らしをしていたのだという。

しかし、そんな前田の意見を否定するような証言が飛び出してくる。後に「孤高の天才」と呼ばれ、リングスやPRIDEで活躍した田村潔司の証言がそれである。田村によれば、第2次UWFの選手は神社長から売上のデータをきちんと見せられ、説明を受けており、田村は神社長に対する不信感は全くなかったという。田村は『だから、いま思えばあれは、前田さんと神さん、鈴木さんとのコミュニケーション不足だったんじゃないかな』(310ページ)と前田とフロント陣のすれ違いが崩壊につながったという考えを示している。

他にも、神社長らを擁護するような証言があり、結局前田の証言のように第2次UWFのフロント陣は腐っていたのか、それとも単なる前田の思い込みなのかハッキリとした確証は得られない。ちなみに、第2次UWF崩壊後に誕生した「UWFインターナショナル」では現場監督として辣腕をふるい、「Uインターの頭脳」とまで称された宮戸優光は、神社長が選手たちの関係を分断しようとしていたと批判している。

このフロント陣による使い込み疑惑だけではなく、他にも様々な証言の食い違いが出てくる。証言者によって語る内容が全く変わってくる。UWFはまるで鵺のように明瞭な正体を見せようとしない。読む人によっては、少しもどかしい思いをするかも知れない。芥川龍之介の小説『藪の中』のように、ひとつであるハズの真実が証言者によっていくつもの側面を見せ始める。真実に近づいているようで、決して手は届かない。この本には、そんな不気味な感触がある。

 

この本を読んでいて純粋に面白いと感じるのは、現在とは全く異なるであろうプロレス団体の雰囲気が伝わってくるところだと思う。第一次UWFでは、UWF流の試合を理解していない観客が変なヤジを飛ばすと、それに対して熱心なファンが「わかんないヤツは帰れー!」という声を飛ばしたのだという。その光景を目にした関係者は「ファンが育ってきた」と感心した。現在ではあまり考えられない構図だと思う。どの団体も新規のファンを獲得することに躍起になっている。熱心なファンが育つのはけっこうだが、そのファンが新規の観客にヤジの返礼を行っているのを見たら、むしろ危機感を抱くだろう。しかし、当時は「わかんないヤツは帰れー!」が通用した時代だった。

 

現在の日本プロレス界は新日本プロレスの独壇場と言っても過言ではない。その新日のスポンサーを見てみると、先日の大阪ドミニオンにも名を冠した「保険見直し本舗」のような大企業も名を連ねている。一方、第1次UWFのバックアップした企業の中には、かなり怪しげなところが少なくなかった。

その筆頭は「海外タイムス」という小さな新聞社だった。この新聞社の親企業は、金の地金を用いた詐欺的商法で悪名をとどろかせた豊田商事だった。ろくでもない商売をしていたせいか豊田商事は金満体質であり、巨額のスポンサー料が支払われるハズだった。しかし、豊田商事の永野一男会長がテレビカメラの前で暴漢に刺殺されるという壮絶な死を遂げたことで、海外タイムスとの話はあっという間に流れてしまった。そのような怪しげな会社との付き合いが当時はまだ許容されていたと思うと、時代の流れを感じる。

 

この本でどうしても目立ってしまうのは、リング外のゴタゴタである。肝心のリングの中での闘いについては、意外なほど言及されていない。しかし、リングの外が騒がしかったにも関わらず、選手たちは純粋かつ真剣にUWFに取り組んでいた。新弟子として第1次UWFに入門した安生洋二は、「自分は最強を目指している」「こんなことをやっているヤツは世界中どこにもいない」という自負を持ちながら練習に励んでいたと語る。

第2次UWF最後の大会となってしまった松本大会で、出場停止処分を受けていた前田を含めた全選手で輪を作り「万歳」を叫んだことはよく知られている。これはこの本に書いてあることではなくて僕の推測なのだけれど、あの万歳の裏には、それぞれの選手が抱いていた「同じリングに立つ者同士」への愛情があったのではないかと思う。経営は苦しい、フロント陣は使い込みをしているかも知れない、スポンサー探しにも苦労する。しかし、自分たちは本物の強さを求めてUWFの名のもとに集った。その事実だけは揺るがない。同じ志を抱く者同士、ともに手を取り合おうじゃないか。そんな感情が各選手の胸のうちに去来していたのではないだろうか。のちに第2次UWFに属していた各選手はリングス、UWFインターナショナル、プロフェッショナルレスリング藤原組(そこからさらにパンクラスが分離)の3派に分裂する。そして、その3派は互いにいがみ合う関係に陥ってしまう。しかし、長い年月を経た今でも「UWF」の三文字が輝きを失わないのは、各選手が無謀かつ崇高な理念に共鳴し、同じ場所に集ったというひとつの「奇跡」があったからではないかと思えてしまう。

しかし、前にも書いたように、この本でUWFの真実は明らかにならない。もしかしたら、この本にも書かれていないようなおぞましい出来事があったのかも知れない。僕のロマンティックな推測など、甘い妄想だったのかも知れない。UWFの正体はつかめない。だからこそ、人々はネッシーや雪男やフリーメーソンに夢中になるように、UWFという存在に魅了されるのかも知れない。

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