書評『1964年のジャイアント馬場』柳澤健 双葉社

ジャイアント馬場といえば、関根勤の「アポー!」と叫ぶモノマネを思い浮かべる人が多いと思う。僕は全日本プロレスが好きなこともあって、馬場については世間の人よりよく知っているつもりだったが、この本の中で描かれているアメリカに遠征していた頃の話はほとんど知らなかった。というより、興味を持たなかった。興味を持っていたのは、メガネスーパーの設立したSWSを権謀術数をもって葬り去ったような冷酷な経営者としての姿、馬場のスーツを忘れたことを正直に告白した付き人時代の大仁田厚を全く叱らなかったという人格者としての姿だった。「プロレスラー」ジャイアント馬場に興味を持つには、僕は若すぎた。僕の中での馬場は、葉巻をくゆらせるおじいちゃんだった。

この本を読んで、ジャイアント馬場という人物が紛れもなくプロレス史に名を残す偉業を成し遂げた人物であり、グローバル化など遠い未来の話だった1960年代のアメリカでとんでもない実績を残した「最強のガイジン・レスラー」であるということを知った。ジャイアント馬場という、名前だけが独り歩きしてしまっているレスラーの真の姿が描かれていた。この本を読み終わったとき、まるで自分の祖父の若い頃の知られざる武勇伝を聞かされたような気持になった。矮小なたとえで申し訳ないが、どんな例えをもってきたところで、この物語のスケールの大きさにかなうワケがない。

この本のいちばん面白い要素は、師匠である日本プロレスの力道山によってアメリカに送り込まれた若き日のジャイアント馬場が、個性豊かなアメリカの名レスラーたちと繰り広げる闘いや交流だとの様子だと思う。ある程度はプロレスを知っているつもりだった僕が全く知らないようなレスラーが次々と出てくる。
その筆頭は「野生児=ネイチャーボーイ」の異名を持つバディ・ロジャース。来日経験がないせいかあまり日本での知名度は高くないが、1960年代のアメリカでは圧倒的な人気を誇っていた。自らの美しい肉体に酔いしれるようなナルシスティックなキャラクターを演じ、ド派手な衣装で入場してくる。当時のアメリカには、もうこんなレスラーが存在したのかと驚かされる。
他にも様々なレスラー、ブッカー、トレーナーが若き日の馬場の前に現れる。アントニオ・ロッカ、ボボ・ブラジル、ブルーノ・サンマルチ‥。読者の世代によって「誰それ?」から「懐かしい名前だな!」までかなり反応は分かれると思うが、数々の名レスラーが登場する。

そんな連中に翻弄されながらも、身長2メートル9センチという圧倒的な肉体を誇る馬場は「東洋の巨人」としてアメリカマット界に旋風を巻き起こしていく。日本における外国人レスラーに例えれば、スタン・ハンセンやビッグバン・ベイダーのような存在感を放っていたといえるかも知れない。まだ第2次世界大戦の記憶が残る時代、日本人レスラーはヒールでしかあり得なかった。アメリカ人よりも大きな体の日本人レスラー、これほど分かりやすいヒールは滅多にいなかった。
そして、ただのでくの坊ではない馬場は、プロレスのエンターテイメント性をいち早く理解し、東洋の巨人として自分の役割を見事に果たしてみせた。そんな馬場は、ついにマディソン・スクエア・ガーデンで「人間発電所」の異名を持つブルーノ・サンマルチのWWWF王座に挑戦するという名誉にあずかる。馬場は名実ともにプロレスの本場アメリカにおいてトップレスラーまでのぼり詰めたのだった。

この本は、ジャイアント馬場こと馬場正平という人間の成長物語でもある。大人しい性格の馬場は、自らをアメリカ送り込んだ力道山や彼と結託したブッカーやトレーナーにファイトマネーの大半を搾取されるという辛酸を舐める。しかし、のちに全日本プロレスを立ち上げる馬場は決して頭の悪い男ではなかった。次第に自らの商品価値を理解し、彼らと対等に臨むようになる。馬場はハードな環境の中で、ビジネスマンとしても目覚めつつあった。
力道山が死去したあと、豊登や遠藤幸吉といった日本プロレスの幹部は馬場を日本に帰国させようとする。もちろん力道山に代わるエースとするために。しかし、アメリカのブッカーであるグレート東郷は高額のギャラを提示して馬場をアメリカから離そうとしない。『日本プロレスと東郷は俺を取り合っている。なぜなら、俺が客を呼べるレスラーだからだ』成長した馬場はすっかりお見通しだった。
馬場は、かつては頭が上がらなかった日本プロレスの幹部に東郷が提示したギャラを伝え、自らに有利な条件で日本へ帰国する。そこからジャイアント馬場の日本における輝かしいプロレス人生が幕を開けるのだった‥。

600ページ近い本なので、かなり内容を割愛して紹介せざるをえなかった。本当はもっと詳しく紹介したかったのだけれど、僕の長い文章で読む気が失せてしまっては悲しいので、この程度にしておく。

ある程度プロレスを知っている人がこの本を読めば、馬場がアメリカで経験したことが後の日本のプロレスにどのような影響を与えたのか、それをくみ取ることが出来ると思う。もしかしたら、これは日本のプロレスの源流を辿る物語だといえるかも知れない‥。

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